第10章
続けたのではなく、続いていた
振り返ると、自分で強く決めて歩いてきた覚えはあまりないのです。
興味が湧けば動き、
合わなければ離れ、
無理をすると立ち止まり、
自然な位置に戻ると、また進んでいく。
仕事も、人間関係も、人生そのものも同じように。
頑張って続けてきたという感覚はありません。
ただ目の前のことを淡々とやっていたら、気づけばここまで来ていました。
三つ子の妊娠、育児、看取り、病気。
決して順調とは言えない出来事ばかりだったけれど、
今振り返るとすべてが一本の流れの中にあったように思います。
いまサロンに立つ私は、昔よりずっと自然体でいられる気がしています。
育児がおわり一区切りしたけど、仕事にはまだ責任がある。
けれど無理に背伸びをすることはなくなりました。
しなやかに合わせながら、
それでも自分の想いは手放さない。
ここを訪れるお客様の多くが言います。
「こんな場所を探していました」と。
その言葉を聞くたびに、
選ばれているのは私の方なのかもしれないと思うのです。
以前は期待に応えようとしていた。
必要とされようとしていた。
お客様を追いかけていた時期もあった。
けれど今は違います。
私の想いと、お客様の願いが重なる場所を探求しているのです。
ジャップカサイやカルサイネイザンという施術も、その延長にあると思っています。
人生を急がなくなりました。
でも同時に、明日が必ず来るとも思っていません。
だからこそ、
いまこの瞬間をちゃんと味わって生きたいと思うようになってきました。
特別な才能があったわけではありません。
むしろ、
「どうして自分は他の人のようにできないのだろう」
そう思いながら続けてきた時間の方が長いです。
それでもやめなかった理由を考えると、
努力でも根性でもなく、
ただ自分に合う形に少しずつ整っていっただけなのだと思います。
男性の体に触れ続けてきて感じるのは、
多くの人が言葉にできないものを抱えたまま生きているということです。
中年男性が抱える不調も、
誰にも言えない感情も、
まだ分からないことばかりです。
けれど、これまで自分が経験してきた
しんどさや迷い、痛みの時間は、
誰かに寄り添うための感覚として残っている気がしているのです。
形はこれから変わっていくのかもしれません。
働き方も、役割も、少しずつ。
それでもきっと、
私はこれからも手を使って人と向き合っていくのだと思います。
男性は語らない。
本当の声は体に出る。
私はその声を手で聴いている。
もし人生に少し疲れたとき、
言葉にできない何かを抱えているとき、
「ちょっと体を預けてみようかな」と思い出してもらえたら嬉しいです。
いろんなことを遠回りしながら生きてきた私ですが、
たぶんその分、人の力の抜き方だけは知っています。
安心してください。
ちゃんと元に戻れるように触りますので。
……タマに…お腹に本音が隠れているだけですから。
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